コメント
田善は線の粗密と腐蝕の操作ですべての階調や質感を表現することができた。腐蝕銅版画の「本気」を、日本で最初に田善が引き出したのである。(中略)
「見たままに、見たことのない風景」を描いた田善の作品にある魅力的な特徴が、風景の中に配される江戸の人々の姿である。それまでの名所図は、人物は添え物程度に描かれることが常であった。田善の風景銅版画における人物は風景の引き立て役ではなく、その作品に欠かせない要素として描かれており、その風景は一層味わい深いものとなってわたしたちの眼を長い間引き付ける。
(版画芸術173号 モノクロームで描く風景銅版画(菅野和恵)より抜粋)
略歴
- 1748年
- 寛延元年奥州須賀川町(現在の福島県須賀川市)に生まれる
- 1755年
- 宝暦5年家業を手伝いながら兄に絵を学ぶ
- 1794年
- 寛政6年須賀川に立ち寄った松平定信に見出され、谷文晁(たにぶんちょう)に入門する
- 1796年
- 寛政8年会津町に移り御用絵師となる
- 1807年
- 文化4年幕府測量所の高橋景保らに世界地図制作が命じられ、田善は文化6(1809)年《新鐫(せん)総界全図》、《日本辺界略図》を制作
- 1810年
- 文化7年《新訂万国全図》寛政
- 1822年
- 文政5年75歳で没
作品紹介
《シノハスノケイ》
1804-18年頃 21.2×27.6cm
銅版筆彩
《品川月夜図》
1804-18年頃 10.6×15.3cm
銅版
《西洋公園図》
1804-18年頃 29.5×56cm
銅版