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「戦時中、私は戦闘機乗りで当時の新鋭機<疾風>に乗っていた。といっても第14期少年飛行兵出身の、まだ<ひよっこ>であった。(中略)当然訓練は厳しかったが、嗜みとしての情操教育は受けていた。詩を吟じ、和歌を詠んできた。明日をも知れぬ我が身の時勢であったから、和歌(短歌)は自然に<辞世>となった。 『新鋭機木製と聞きエンジンは孟宗竹かと問いて叱らる』 太平洋戦争末期はアルミ合金が乏しく戦闘機も木製という苦肉の策であがなうほかはなかった。しからばエンジンのシリンダーは円筒の孟宗竹が格好の資材と思うのは私の愚かな皮肉というものであろうか?...。(中略) 九死に一生を得て迎えた戦後は、ワインの酸化防止剤で呼吸器障害を起こし喘息状態になり、苦しみながら制作を続け技法の上で一条の光明を見付けた。おりもおり東京でボンベイ展を見て作った辞世? のような一首。 『我れ死して灰となるより銅版を抱きたるまゝ化石となりたし』 雁湖(短歌の雁湖も、のぶお)」(作家コメント「わたしのかたち」『版画年鑑1999』版画出版より)
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