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作家名

山本 鼎(やまもとかなえ)YAMAMOTO Kanae

ジャンル
モダン  人物  伝統  木版    風景  

コメント

 「ブルターニュの小湾
此版画はむろん私の自刻自摺の木版画であります。これを作つたのは大正二年の夏(西暦千九百十三年)巴里留学中の友人数名とブルタアニユ半島へ旅行した時の記念の仕事でありまして、林檎酒をとるりんごの畑と麦畑と入江で彩どられた明るくて寂しい海村です。あの辺は第一回の欧ロツパ大戦争はまぬがれたが、今度の第二回大戦ではメチヤメチヤになつたでせう。此版画を作つた郷土も、作つた私が生存する日本も共に敗戦の結果半亡国的の天地となりました。今昔の感にたえません――これは私の三十二歳の時の作であります。 昭和二十一年夏 山本鼎記」
(作品裏面に貼られた自筆文より)

略歴

1882年
愛知県岡崎市に生まれる
1892年
芝の木口木版工房・桜井暁雲(虎吉)方に弟子入りする
1902年
東京美術学校西洋画科選科に入学。
1904年
雑誌『明星』に《漁夫》を発表。石井柏亭が「刀画」と評する
1906年
東京美術学校西洋画本科卒業
1907年
石井柏亭、森田恒友と同人誌『方寸』創刊
1912年
7月渡仏。国立美術学校の外国人推薦枠に合格、ワルトネル教授に師事する
1914年
第1次世界大戦が始まり、ロンドンに逃れる。翌年パリに戻り美術学校への通学を再開する
1916年
トルストイの生家を訪問し、トルストイ未亡人に会う。モスクワで「児童創造美術展」と農民工芸品展示所を見る。12月帰国
1918年
織田一磨、戸張弧雁、寺崎武男と「日本創作版画協会」結成。会長に就任
1919年
第1回日本創作版画協会展開催。3月「児童自由画展覧会趣意書」配布。11月「日本農民美術建業の趣意書」配布、翌月農民美術練習所を開講
1921年
『芸術自由教育』誌、『自由画教育』創刊(アルス)
1922年
神川村大屋に農民美術練習所が完成し、「農民美術研究所」と改称。「春陽会」設立に参加、創立会員となる
1931年
日本創作版画協会が解散、「日本版画協会」設立。副会長に就任
1946年
64歳で死去

作品紹介

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《漁夫》

1904年 16.2×11cm

板目木版

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《ブルターニュの小湾》

1913年 14×21.3cm

木版

YAMAMOTO-kanae-03.jpg

《ブルトンヌ》

1920年 36.9×28.4cm

木版

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